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正直じいさんと欲張りじいさんのこと

2025.12.01

    昔話に出てくる「正直じいさん」と「欲張りじいさん」。

    子どもの頃、私たちは自然と「正直じいさん=善」「欲張りじいさん=悪」として話を読み終える。

    けれども、この単純な構図が、ずっと気になっている。

    正直じいさんは、嘘をつかず、素直で、誠実だ。まさに「正直」を絵に描いたような人物である。しかし「正直」という言葉には、もう一つ「自分の気持ちに忠実である」という意味もある。
    そう考えると、むしろ自分の欲望に一直線な欲張りじいさんも、ある意味で「正直」なのではないか、とも思えてくる。

    となると、逆に、正直じいさんはどうだろう。

    正直じいさんは善人の象徴のように描かれるが、だからといって、完全に無欲だっただろうか。褒められたい気持ちや、認められたい願望が混ざっていなかったとは考えにくい。善行の奥にも、静かに揺れている小さな「欲」があったはずだ。

    つまり、自分の気持ちに正直でないのは、正直じいさんの方である。

    一方、欲張りじいさんは欲望に正直すぎるがゆえに、悲劇の役回りを押しつけられているようにも見える。正直な気持ちをそのまま行動に移すと、昔話の世界では罰を受けることになってしまう。これはこれで、なんとも不憫だ。

    「正直」は単なる美徳ではなく、一筋縄ではいかない。

    本音を言えば関係がこじれるし、黙っていれば自分が苦しくなる。
    欲望に正直過ぎれば叱られ、抑え過ぎれば幸福度が下がる。

    あの昔話は、正直と欲のあいだで揺れる人間の二面性を、二人のじいさんを通して私たちに伝えてくれているのだ。

    どちらにも行き過ぎないところに、自分なりの「ちょうどいい正直さ」がある。そのいい塩梅を探すことは、正直難しいのだが。